金井美恵子『重箱のすみから』(筑摩書房,2026. 253p.)には,筑摩書房のPR誌『ちくま』の2020年6月から2025年4月まで連載された時事エッセイが収録されている。1947年生まれのこの著者の随筆集を以前から読んできたが,今回も題名通り重箱のすみをつつくような話に快感を覚える。嫌味と受け取られかねない筆致であるが,種々の指摘に同感できることのほうが多い。
例えば,無観客で行われた東京オリンピックの開会式,聖火の最終ランナーは大坂なおみ選手だったが,そのひとつ前のランナー三人について「国際的に通用する名とは思えないプロ野球の選手たち」と形容する。さらに,「ザハ案」をやめて急遽設計をし直した現国立競技場について「いかにも,せこくてピンボーくさい」,「上空から見ると曲げ木細工のチンマリとコンパクトな弁当箱のように見える」と言う表現ももっともである。最近では,「ザハ・ハディドの流動的でダイナミックで居丈高なデザイン」であったらどんなによかったかという声も増えてきた。ただ,当時は,デザインより費用の面での反対が多かったように思う。
今の国立競技場は,その周辺を歩いて見上げたり,病院の診察棟の窓から眺めて,各階の外周部にある低木群,植栽が全く緑豊かには見えないことが気になる。そして,著者も揶揄しているが,あたかも満員のように座席に模様をつけるという発想が残念である。
この『重箱のすみから』の前半は,東京オリンピックを含め「新型コロナウイルス」の頃の様子が中心である。しかし,これらのほとんどは,章題にもあるように「いつの間にかわすれられてしまうこと」だった。というより,今からみれば,触れることさえ忘れてしまっている。
ほぼ同年代の二人の小説家についてこう述べている。「後に東京都知事になることが自民党政治家としての最高の地位という事になる石原の,大江に対する無意識とは思えない,えらそうなマウンティング的振舞いを見るにつけ,あ,この人は小説家として,死ぬ時まで『太陽の季節』の「芥川賞作家」と呼ばれるのだろうなあと,ゆくりなくも思った」。確かにその通りで,「ノーベル賞作家」大江健三郎の作品はいくつも言えるのに,石原慎太郎は,『太陽の季節』以外の作品名を思い出せない。
「新型コロナウイルス」が落ち着いた後,著者は,「図書館で資料を探し出すことが必要な類いの仕事をしているわけではないし,近所の区立図書館を貸本屋のように利用することもない」が,図書館を取り上げたかったらしい。だが,最近の図書館の建物を批判したいのだが,実際に新築の図書館を見に行くことはないので,細部を論じることはしない,あるいはできないで終わっているのは残念だった。角川文化振興財団が運営し,東京の所沢にある「角川武蔵野ミュージアム」の施設概要を読んで,我慢ができなかったらしい。
著者は,住んでいる集合住宅の中で新聞を取っているのは2軒だけと言うが,朝日新聞と東京新聞を取っているらしいことを含め,同じだった。取っている新聞が同じなら,感じ方が同じになるのか,あるいは,素直でない人間は朝日新聞と東京新聞を読むのか。