菊池寛の読書

 読書から離れることはできない。先日,学生時代に授業を受けたことのある故大橋吉之輔氏の1983年の随筆「菊池寛のトランク」を読んだ(尾崎俊介編『エピソード アメリカ文学者大橋吉之輔エッセイ集』トランスビュー,2021年. 383p.)。戦前,大橋氏が旧制高校の文芸部の時,菊池寛を招いて講演をしてもらった。その時,駅に出迎えに行ったのだが,菊池寛のトランクが大きくて重くて宿まで運ぶのに必死の思いだった。

 菊池寛は。宿でトランクの中を見せてくれたが,わずかな衣類以外は全て本で,主として束西の文学作品,それも古典と呼ばれる有名な作品が多かったが,哲学書や美学の書物も相当数あった。これらの本は講演のためではなかった。菊池寛はこう語った。

自分にはまだ,死ぬまでに読んでおかなければならない,あるいは読みかえしてみなくてはならない,書物がたくさんある。そういった書物のことを考えると,夜眠るのも惜しいくらいだ。家にいるときも旅に出るときも,たいてい木を読むことばかり考えている。こんどの旅行は,一週間の予定だから,とりあえずこれだけのものをトランクに入れてもってきた。ここにある書物のほとんどは,大学や公共の図書館から借り出してきたものだ。借り出したものは,返す期限があるから,それだけ怠けないで読める。ただし,自分の読書はけっして組織だったものではなく,折々の思いつきとか興味といったようなところがある。しかし,ともかく,自分にとっては,読書こそが生きているあかしなのだ……

 これほど強い意志があるわけではないが,自分自身の読書に対する考え方と重なるところが多い。何故か,いつも本を読んでおかなければならないと思い込んでいる,読むのは雑多な内容の本でしかない。

 「文豪」という言葉は,現代の作家には向けられないが,それでもかなり広い範囲を差すようになった。しかし,自分にとって「文豪」がしっくりくるのは,谷﨑潤一郎と菊池寛だけである。